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Casey Neistat(ケーシー ナイスタット) の 自伝的ビデオクリップ - 翻訳付き!

ケーシーの自伝が13分30秒にまとまっている。

1981年生まれ、15歳で高校を退学し、17歳で父親になった。そこから這い上がってくるところがケーシーのすごさ。

www.youtube.com

このビデオの翻訳を付けておきます。(完成するまで毎日更新するよ!)

TNP ラボとハーバーズファンデーションは、ストーリーテリングによる社会改革を支援している。 そしてオレは今回ストーリーテリングについての映画を作ることを頼まれた。 ストーリーテリングがオレの人生を変えた。 これは、オレのストーリーだ。

オレは1981年3月25日に生まれた。 描くのは下手なので、友達のキムに手伝ってもらう。 

1981年3月25日 Momは出産の最中ホラー映画を見ていたんだ。 だから、こんな絵になる。 

「15歳で家を出るまで。」

他に3人兄弟がいて、(絵の中:ディーン、ケーシー、ジョーダン(女)、ヴェン)、コネチカット州の中流の下に当たる地域に住んでいた。 Dad はレストラン用品の販売員で、フォーク、ナイフ、食器洗浄機などを売っていてた。 Dadはすごく働いていたし、Momは躾に関しては無関心だった。 だからオレの子供時代のほとんどは、素敵なほどにほったらかしだったって言うことが出来るだろう。 オレはワルガキで、家の裏にあった線路に架かる橋から、ちょうど運転席の前にぶち当たるように、マヨネーズの瓶をぶら下げたりした。 一度、木の上に作った小屋を兄弟で燃やしてしまった事があった。 そんなつもりじゃなくて、ただ小さい火を木の小屋の中で点けたかっただけなんだ。

(少年時代のビデオ)

オレは学校は嫌いじゃなかったけど、優秀でもなかった。 何かを壊したり、校内や先生とのトラブルがあったりした問題児だった。 小学校のときに常に感じていた不安を、いまも昨日のことのように覚えている。 先生や親が何かオレの問題を見つけてくるんじゃないかと常に緊張していたんだ。 高校に入る頃には、こうした問題もどんどんエスカレートしていった。 いつも教頭室に隔離されたり、居残りさせられたり、停学を食らったり。 1年目(注:通常日本の中3と同じ)は何とかなったけど、2年目(注:通常日本の高校1年)には学校での居場所を求めて、他のホントのワルガキとつるむようになった。 ケンカはたくさんしたし、酒を飲んだり、マリファナを吸ったりしたのもこの頃だ。 ちょうど同じ頃に、両親が離婚することになった。 これは全くうまくいかなかったし、うまくいかない全てをMomのせいにした。 その頃はMomが嫌いだった。 ある晩大きなケンカの後、私の言うとおりにするか、それともこの家から出て行けって言われた。 だから、家を出たんだ。 オレは15才で、それは火曜日の夜の9時だった。

 

 

「17歳で父親になる」

 

Ok, その時オレは15才で、全てがオレ次第なった。 友達のところでしばらく居候した後、ちょっと年上の二人の女の子たちの住む家に引っ越した。 自然にその内の1人がガールフレンドになった。 そのあと少しして、そのガールフレンドがもう一人の女の子とケンカして、それでこの家を出たいって言った。 オレたちはホンダを手に入れて、家を出たんだ。 そしてコネチカット州からバージニア州に行った。 そこでは兄のヴェンが大学生をしていた。 ヴァージニアはよかった、だけど、3ヵ月後ガールフレンドが妊娠したんだ。 だからコネチカットに帰った。 そして高校を退学した。 オレたちは彼女の友達の家の地下室でしばらく過ごしたあと、最終的にはアパートに住むようになった。 オレはシーフードレストランで皿洗いとして働いた。 時給8ドルだった。 ちょうどオレの17回目の誕生日のすぐあとの4月に、オーエンが生まれた。 そして父親になった。